http://diary3.cgiboy.com/2/class8686/より)
id:heihachirou:20040722の「考える手立ての一つに置いてもらいたいこと」の項目で、前回のヘッポコ甲子園に出た某ハガキ職人の事について書かれてた。
日記を見ると、彼はヘッポコ甲子園で敗れたのはスタッフのせいだと書かれてある。
その理由について彼は「当日のネタを自分じゃなくて作家が選んだ」と言う事らしいですが、これについて、id:heihachirou:20040414において

 ここでポイントになるのは、「当日のネタを作家が選ぶ」という点。どうなんですかね?自分としては「その番組に入ってはその番組に従え」ってのを投稿のモットーにしてますので賛成ですが、「自分が選んだネタなら勝てたのに」っていうのもあったかもしれません。

と同じくヘッポコ甲子園に出たハガキ職人はコメントしている。
自分の考えとしては「作家がネタを選ぶ」という事は賛成である。
コーナー用のネタもやはり作家などスタッフが選んでいるのだから、生電用のネタも同じようにスタッフが選ぶべきだと思う。それで敗れたら仕方は無いと思う。力量の差もあるから。
しかし、彼は「・・・えっ?何で自分の発表するネタ勝手にスタッフに決められてるの・・・」と言っている。そして選ばれたネタに不服を感じ、敗れてしまった・・・・
自分が書いたネタを選ぶのはスタッフである。しかし、笑いの感覚は十人十色であり、自分にとって面白いネタでも他人からして見れば面白くない、逆に自分にとっては面白くなくても、他人からして見れば面白いという事もある。
これは自分が読まれたネタでも同じである。自分にとって自信があったネタじゃなくて、他のネタが読まれたことが度々ある。
自分とスタッフというのは同じ人間でも感覚などは全くの別体であり、違う生物に感じるのでもある。(これはちょっと差別発言かな)
彼も何年もハガキ職人をしているのなら、スタッフがハガキを選んでいるのを知っているはずでもある。
また、場所柄の笑いの違いもあると思う。
彼は大阪在住。対してスタッフは東京。東京と大阪の笑いの感覚は全くと言うほど違う。
いくら大阪で面白いネタでも東京でも通用しない事があるのだ。
ABC朝日放送でやっている探偵!ナイトスクープ が関西では高視聴率でも、こちら東京では低視聴率(時間帯の違いはあるが)。
東京では低視聴率の番組が関西では高視聴率、またその逆もある。
東京と関西では感覚が違うところが多いのである。
彼が書いたネタが彼にとってつまらなくても、そのスタッフにとって見ればこれは面白いからこれで行ってみようと思ったからではないでしょうか。
じゃあ、自分でネタを選べたらとしてみると、はっきり言って、自分でネタを選ぶという事はある意味ギャンブルだと思う。
はっきり言えば「面白いネタorつまらないネタ」。
面白いネタが出る可能性もあれば、逆につまらないネタになる可能性にもなるのだ。
さらにつまらないネタを作るという事は、面白いネタを作る事よりは簡単だが、面白いネタを作るという事はつまらないネタを作るより難しいといった事である。
つまり、自分でネタを選んで勝負する場合、面白いネタを言う確率というのは、つまらないネタを言う確率より低い、仮に7個ネタを書いたとして、面白いネタが1つあったとしたならば、その面白いネタをいう確率は1/7ではある。これは例としてあくでも自分で決めた数字で、ネタの出来や才能によってこれが2/7とか3/7に上がるが、しかし、その面白いネタを言う事は依然難しく、1/7だったら、他の6個はつまらないネタであり、2/7でも5個がつまらないネタである。4/7に上げたとしても7個中4個は面白いが、3つはつまらない、ある意味ギャンブルのさらにギャンブルと言った状態になる。5/7とか6/7だったら確実に面白いネタが言えるが、しかし、そんな高確率で面白いネタを書く職人がいるかどうか。もし、書けたらそれは秀才者である。
彼が自分で選んでネタを言ったとしても、ネタだけではなく、ギャンブル運が強くない限りは勝てないと思う。
そんなギャンブルをしてまで自分でネタを選びたかったのか、彼は。もし、そのギャンブルに負けた時、彼はどう思うのだろうか。
ギャンブルをするよりもちゃんとスタッフにネタを見てもらって選んだ方が感覚の違いはあるが、それの方がいいのではないか。
それで自分は「作家がネタを選ぶ」という事に賛成している。
もちろんギャンブルしたければ自分でネタを選んでもいいが、しかし、それには上にも書いたようなリスクを負うことにもなる。リスクに負ってやるならやろうとしてもいいが、しかし、「郷に入って郷に従え」の言葉通り、番組の規則には従わなくてはならない。これは学校に入っても、会社に入っても同じ事であって、スタッフが選んだなら、それに従うしかない。

確かにそこに書いてあったのは以前に送った自分のネタなんですよでも私等職人の基本的なテクニックとして本命のネタを際立たせる為に本命のネタの前後のネタを敢えて明らかにおもしろくないorどうでも良いようなネタを書いたりすることはよくあるんですね・・・メールに書かれたネタは全てそのネタだったんです・・・

と彼は言っているが、本命だったネタでも感覚の違いで選ばれず、どうでも良いネタが選ばれる事もある。
はっきり厳しく言うが、自分で面白くないやどうでも良いと分かっているネタを書いた時点でもう自分の負けを認めてると思う。
自分もハガキでネタを書くが、自分の中ではとんでも無く失敗したと思うネタ(文章が間違えてるなど)以外はなるべくネタについて何も感じないようにしている。
それを送って、後は発表まで待つ。ある意味ギャンブラータイプなのかもしれない、自分は。
しかし、明らかに失敗と認めてるネタをメールで送る場合は書き直せるんだから、自分の納得のいくネタに書き直せば良かったのに・・・・
明らかに自分でも分かるミスをスタッフや番組に押し付けて、自分が正しいと思い込ませるその行為は正に合理化という物、つまり自分の防衛機制が働いてでのあの日記になったと思う。
「合理化」というのは失敗したり、自分の欠点がはっきりした時に、自分に都合よく正当化する事である。そうする事で敗北感や挫折感から逃れる事が出来、最もらしいウソの理由を見つけて自分を納得させる事になる。
例えば全然勉強しなかったためにテストの点が悪かったが、それは当日体調が悪かったからだと自分で別の理由を見つけて納得させる。
つまり、今回の彼の内部告発と言うべき物も、実は自分のミスを認めたくないがための合理化によって書かれたのだと思う。
この騒動の事が書かれた全部の日の日記を繋げて読めば、明らかに言い訳で書いてるようにも見えるし、愚痴を言ってるようにも見える。
さらに当日、ヘッポコで敗れたのは別の理由があったと思う。現に対戦相手であった女性リスナーのネタもかなり強力だったし、彼のネタも良かった。でも、大きなミスをした。
それはネタを噛んでしまった事である。
試合が始まる前、「ネタを噛んだら大きな減点」と番組内でも言われていたはず。
ネタを噛んでしまった事も敗退に繋がった。これには番組HPにもきちんと証拠が出ている。
最悪な精神状態で迎えられたとしてもそれは自分の責任である。それで敗れても神経戦で敗れたような物である。
結局は「自分で分かっているのに自身の無いネタを書き直さずにメールで送った」「自分の思い通りに事が運ばなかった」「ネタを噛んだ」この3つの事が重なって敗れてしまった。あきらかに自分のせいで敗れたのにそれに自分の防衛機制が働いて、合理化で自分のミスをスタッフのせいにすると言う事で自分を納得させた。あの日記に書かれてた事はこの事だと思います。

じゃあ、何であんな内部告発といったような合理化日記を書いたのか。
それには彼の「ハガキ職人のプライド」というのがあるのではないでしょうか。
彼は色んな番組で沢山の採用枚数を誇り、このヘッポコにも出場できた。
しかし、先に書いたような事やそこで格下だと思ってた女性投稿者に敗れた事で自分のハガキ職人のプライドに傷が付き、傷を少しでも消すために合理化という物を使い、敗れたのを自分からスタッフのせいにして、自分のハガキ職人のプライドの傷を消したのではないでしょうか。
合理化というのは自分のプライドに傷がついたときにも言い訳とかに使われる。
実際、自分もハガキ職人のプライドはおそらく高いかもしれない。現に先日、採用についての相談に乗った所で荒らしに攻撃され、今、傷ついている。
下級投稿者や女性に敗れるということはプライドが高い人にとってみればかなり屈辱的な事かもしれない。
「明らかに自分よりも劣っている者に、格下だと思ってた者に負けるなんて、こんなのイヤだ」
彼にもそのような事であのような日記を書いたのかもしれない。
沢山読まれてる者や番組で有名になった人ほどこの「ハガキ職人のプライド」という物は高いかもしれません。
これを読んでいる投稿者の皆さんも一度は「ハガキ職人のプライド」について考えてみたらどうでしょうか?

ここまでヘッポコに出て敗れたハガキ職人の事について書いてきたが、ただ、番組側にも問題がある。
一つに作家が言った「文句あるんなら出なくて良いよ・・・」の発言。
これは言いすぎじゃないかと思う。
番組にとってリスナーというのは大切なお客様。メールを見たなら「それを貴重な意見として参考にさせていただきます」と言うべきである。
会社でも商店でも意見が届いたら、それは参考として見るべきなのに、それを「文句あるんなら出なくて良いよ・・・」と言うのなら、態度の悪い会社として見られる。
そんな会社など誰も取引はしなくなる。番組にしてもリスナーの意見を聞かない唯我独尊ラジオ番組などリスナーに見捨てられるだけである。
いくらこういった状況でも番組は彼に謝罪をすべきだと思います。どうせなら氣志團の番組をこの作家がやっていたので、その氣志團の番組でやっていたような罰ゲームをやったほうがいいと思います。
もう一つは番組のシステム。
番組のシステムの事から、こういう日記が書かれてしまったり、2ちゃんねるとかで批判が相次いでしまう。
もう2度と彼みたいな日記が書かれない様に番組を改善して欲しいと思います。

イラク人質事件のときに騒がれた言葉は「自己責任」。
ハガキ職人にしても、ネタを選ぶスタッフにしても、ネタを書く事に対する自己責任、ネタを出す事に対する自己責任、ネタを選ぶ事に対する自己責任を持って、行動して欲しいと自分は思っています。

追記)この事件の事が2ちゃんねる礼央スレでも取り上げられてしまった。
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/am/1081789220/490-
書き込みではは例のハガキ職人id:heihachirouさんの日記がリンクされていましたが、多分ここを見る人は少ないと思うが、あえて書いておきますが、今回の騒動はハガキ職人の合理化によって起こされた物でもあるが、しかし、この騒ぎの発端を作った番組側にも問題はある。
どうせヤラセやるんだったらWWEみたいにドラマのある物だったら、それはストーリーとして認めるも、もし、あのヘッポコがヤラセだったとすれば、WWEみたいなストーリーでも何でもなく、完全なヤラセである。
ただ、あの日記だけじゃイマイチ証拠が掴めきれないし、敗因もヤラセが原因だとは断定できない。
自分は番組を援護しているように書いていると思われるが、しかし、

ここまでヘッポコに出て敗れたハガキ職人の事について書いてきたが、ただ、番組側にも問題がある。
一つに作家が言った「文句あるんなら出なくて良いよ・・・」の発言。
これは言いすぎじゃないかと思う。
番組にとってリスナーというのは大切なお客様。メールを見たなら「それを貴重な意見として参考にさせていただきます」
会社でも商店でも意見が届いたら、それは参考として見るべきなのに、それを「文句あるんなら出なくて良いよ・・・」と言うのなら、態度の悪い会社として見られる。
そんな会社など誰も取引はしなくなる。番組にしてもリスナーの意見を聞かない唯我独尊ラジオ番組などリスナーに見捨てられるだけである。
いくらこういった状況でも番組は彼に謝罪をすべきだと思います。どうせなら氣志團の番組をこの作家がやっていたので、その氣志團の番組でやっていたような罰ゲームをやったほうがいいと思います。
もう一つは番組のシステム。
番組のシステムの事から、こういう日記が書かれてしまったり、2ちゃんねるとかで批判が相次いでしまう。
もう2度と彼みたいな日記が書かれない様に番組を改善して欲しいと思います。

と書いてある通り、この騒動については番組側にも非がある。
各地から「ローテーションでネタを選んでる」とか「ヤラセしてる」とかの話も出ているし、こういう話が出る以上、番組のシステムとかに欠陥があるとしか見えない。
いくらいい番組を作っても批判が出るのは仕方ないとして、こういう話が出ないように番組のシステムを改善をしない限り、今回の件で多くのリスナーが番組から離れる可能性も否めない。
番組のイメージダウンの発端を作ってしまったのは、番組であるわけですから、こういう事が2度と起きないようにもう一度書きますが、番組の改善を求めたいです。
ただ、この問題はしばらくは尾を引きそうな感じがします。