23日、一部ネット上で注目を集めていたオンワードハヤブサの登録が抹消された。
2002年11月3日のデビュー以来、3年1ヵ月半の競走生活で挙げた成績は33戦未勝利、それも馬券に絡んだ事が1度も無く、最高着順は3度記録した5着だった。
こんな成績だったら普通はすぐに登録抹消されるのに、何故3年以上も走り続ける事が出来たのか。


2002年11月3日の中山4レースでオンワードハヤブサはデビュー。
デビュー戦は後方からレースを進め13着でゴールを迎える。
続いて2戦目も10着、その後も16着、10着、13着と2ケタ着順でゴールを迎えている。
普通だったらもう走らないと判断し、この辺りで登録を抹消し、乗馬に転身か、あるいは地方競馬に移籍させているかと思うが、しかし、陣営やオーナーはいつかは走れると思っていたのか、その後4ヶ月休養を取らせ、2003年7月13日に復帰。
すると、3歳未勝利戦で9着となり、初めて1ケタ着順に。続くレースでも9着と入り、そして8月30日の3歳未勝利戦で8着と入り、遂に出走奨励金をゲットし、出走手当以外で賞金を加算させる。
続く3歳未勝利戦でも6着、そして10月5日の札幌6レース3歳未勝利戦で遂に自己最高着順となる5着に入り、本賞金を手に入れる。
しかし、その後は未勝利戦が無くなり、古馬相手に500万下で2戦するが9着、10着と振るわず、翌年3月から障害入りする事となる。
障害では全21戦全て矢原洋一騎手が手綱を取ったが、やはりここでも最高着順は5着が2回あるのみで勝ちには至らなかった。
障害デビューから3戦は未勝利も4戦目で7着に入り、奨励金をゲット。その後5戦は9着以下の着順も2004年9月18日の障害未勝利戦以降の12戦中10戦で本賞金、あるいは出走奨励金を手に入れ、自身の現役生活を長くさせる要因にさせていた。
また、ヤネが矢原洋一騎手というのも大きかったのかもしれない。
矢原騎手が最後に勝ったのは2001年5月であり、それ以降は勝利に至っていない。
平地の競走と比べ、ジャンプレースは騎乗手当がかなり高く、矢原騎手にとって障害入りして貴重なお手馬であり、1度も落馬もせず、最後までゴールを駆け抜けて行ったオンワードハヤブサを生活の中心に考えていたかもしれない。
また、陣営もオーナーもやはり障害では落馬もなく、トレーナーリーディング下位にいる厩舎にとっては出るたびに貴重な障害での出走手当が貰え、またいつかきっと勝てると思い、今年の3月から半年間休ませ、またレースに復帰させている。
今年の勝利が障害のみで障害レースに理解があるリーディング下位の厩舎の事情や全く勝てない騎手の事情、今年5勝しかしていないオーナーの事情や彼らの愛馬心など様々な要因が重なって33戦未勝利ながらもここまで走ってこれたのではないかと思います。