今日の京都競馬場にて2003年の牝馬3冠を制したスティルインラブの引退式が行われた。
16戦5勝、重賞勝ちは3勝。その3勝はいずれもGI桜花賞オークス秋華賞の3勝だった。
ライバルで先ごろ引退したアドマイヤグルーヴと好勝負を演じ、牝馬3冠を達成したスティルインラブ
しかし、牝馬3冠を境に栄光から転落へと変わった現役生活だった。


スティルインラブは2000年5月2日、門別・下河辺牧場で生まれた。
父はサンデーサイレンス、母はブラダマンテ、7つ上の半兄に中山で行われた96ラジオたんぱ賞(GⅢ)を逃げ切り、1分46秒0のレコードタイムで逃げ切ったビッグバイアモン、叔父に中央で5勝を挙げたキョウワアリシバがいる良血の下でスティルインラブは生まれた。
生まれた時、スティルインラブはこぢんまりとしていたが、サンデーサイレンスの仔で素直でムダ肉がなく、小さくまとまった馬という事で牧場関係者からも期待されていた。
スティルインラブはかつてトウカイテイオーを管理していた栗東松元省一厩舎に入り、2002年11月30日阪神3レース2歳新馬戦でデビュー。
単勝は1.4倍の断然1番人気。スティルインラブはニチドウダンサーに次いで2番手からレースを進め、そして最後の直線で先頭に立つと、後続を3馬身半離しデビュー戦を飾った。
この時、6着に入ったのは去年の札幌記念(GⅡ)、天皇賞(秋)(GI)を制し、有馬記念(GI)を最後に引退したヘヴンリーロマンスだった。
スティルインラブのデビュー戦には後のGIホースが2頭出ていた事になる。
このレースの後、スティルインラブはトウ骨に骨膜が出来、またそれ以前から腰に疲れが出やすいと事から毎日診療所に行っては電気を当てたり、注射を打ったりしていた。
スティルインラブにはこんな苦労があったのだが、この苦労を翌年凄い形で関係者に恩返ししてくれるのであった。


2戦目は牝馬オープン特別の紅梅ステークス。キャリア1戦ながらスティルインラブは2番人気に推された。
デビュー戦と違い、ここでは8番手からレースを進め、そして直線に入り、上がり3ハロン34秒3と鋭い脚でモンパルナスに3/4馬身抜け出し1着となり、デビューから2連勝を飾る。
ここで牝馬クラシックの有力候補に躍り出たスティルインラブ。次に選んだのは桜花賞トライアルのチューリップ賞
スティルインラブは1.7倍の断然人気に支持されるが、2着に敗れる。
このレースを勝ったのは後にファインモーションなどを破り、大物食いと言われたオースミハルカだった。
2週間後に行われた若葉ステークス。ビッグコングとの競り合いを制してデビューから3連勝を飾ったのが父に同じサンデーサイレンス、母に名牝エアグルーヴを持つ後にライバルとなるアドマイヤグルーヴだった。
ファンもアドマイヤグルーヴのクラシック制覇を期待していた。以降、3冠レースでは全てアドマイヤグルーヴが1番人気を集め、スティルインラヴは2番人気で迎える事となる。
そのアドマイヤグルーヴとの初対決となったのが桜花賞(GI)。スティルインラブは先行してレースを進め、アドマイヤグルーヴはかなり後ろ16番手からレースを進める。
そして直線に入ると逃げるモンパルナスを交わし先頭に立ち、内からシーイズトウショウが来るも1馬身半のリードで1着。2着にシーイズトウショウアドマイヤグルーヴスティルインラブより0.6秒速い34秒5の脚で直線猛然と追い込むも3着に敗れた。
この勝利でデビュー10年目を迎えていた幸英明騎手はこれが初のGI勝利となった。また、勝ち時計の1分33秒9は桜花賞レコードとなった。
続く2戦目はオークス(GI)。祖母ダイナカール、母エアグルーヴに続いて母娘3代オークス制覇がかかったアドマイヤグルーヴがここでも1番人気。桜花賞は3着も負けて強しの内容でそれも人気に支持された形となった。
しかし、このレースも制したのはスティルインラブだった。
道中は9番手と中団からレースを進めたスティルインラブ。直線でインから抜けた人気薄のチューニーをゴール前で一気に交わし10年ぶりの2冠牝馬に輝いた。
この時、スティルインラブは右前脚を落鉄していたが、それを感じさせぬメンバー中最速の33秒5の上がりで見事2冠を制した。母娘3代制覇がかかったアドマイヤグルーヴはやはり後方からレースを進めるも7着に敗れ、3代制覇はならなかった。レースは2着にチューニー、3着にシンコールビーが入り、3連複で9万円の波乱となった。
オークスの後の1週間後に行われた日本ダービー。ここでネオユニヴァースが2冠を達成し、「史上初の牡牝3冠が見られるかも」という声が聴こえるようになった。


オークス後は栗東で夏を越したスティルインラブは秋初戦はローズステークス(GⅡ)に出走した。人気は断然の1番人気。初めてここでアドマイヤグルーヴを人気で上回った。
しかし、オークスより22キロの馬体増に加え、展開面や折り合いが欠いた事などでここでスティルインラブはデビュー以来初めて馬券圏内から外れる5着と敗れる。
皮肉にもこのレースを勝ったのは春のGI2戦で1番人気を集め、今回1番人気を明け渡したアドマイヤグルーヴだった。これでアドマイヤグルーヴは重賞初制覇となった。
そしていよいよ秋の大一番秋華賞(GI)を迎える。
秋初戦の内容からかここでもアドマイヤグルーヴが1番人気に支持され、スティルインラブは2番人気でレースを迎える。
大幅増となったローズステークスに比べ、−4キロと少し絞ってきたスティルインラブ
調教も角馬場からウッドチップコースに変更し、3冠制覇のためにひたすら攻め続けた。
そしてレースはマイネサマンサが逃げ、スティルインラブは10番手から、それを見るような形でアドマイヤグルーヴは11番手からレースを進め、そして直線で一旦はヤマカツリリーが出るが、ゴール前でスティルインラブアドマイヤグルーヴとともに一気に強襲。そしてヤマカツリリーを交わして、同じくらいの脚を使ったアドマイヤグルーヴを3/4馬身差退け1着。この瞬間メジロラモーヌ以来17年ぶり史上2頭目牝馬3冠馬が誕生した。
ゴールの瞬間、スタンドからは沢山の歓声と拍手が絶えず鳴り続けていた。
前の3冠馬ナリタブライアンから10年、この間に競馬ファンになり、初めて見た3冠達成の瞬間に歓喜したファン、ナリタブライアンの頃あるいは前から競馬を見続け、やはり3冠達成に歓喜したファンが歓声と拍手を3冠牝馬スティルインラブに送り続けていた。
当時27歳の幸英明騎手はこの勝利で史上最年少の3冠ジョッキーとなった。
しかし、この歓喜に満ち溢れた秋華賞の勝利がスティルインラブにとって最後の勝利となった。


17年ぶりに3冠牝馬になったスティルインラブ。続くエリザベス女王杯(GI)はアドマイヤグルーヴと好勝負を演じるも惜しくも敗れ2着。これでアドマイヤグルーヴは初のGI制覇となった。
しかし、その後は牡馬との相手や斤量などで厳しい戦いが続き、馬券に入ったのも04府中牝馬ステークス(GⅢ)の3着だけでかつての3冠牝馬の輝きは失いつつあった。
それでもファンはスティルインラブの復活を信じて止まなかった。
牡馬相手での3戦以外は全て5番人気以内に入り、負け続きでも単勝は10倍以下というレースが多かった。
しかし、勝つどころか馬券に絡む事は1回しかなく、復活する事なく2005年10月16日の府中牝馬ステークス(GⅢ)17着が最後のレースとなり、エリザベス女王杯前の11月2日に引退が発表され、3年11ヶ月に及ぶ現役生活にピリオドが打たれた。
スティルインラブのライバルであったアドマイヤグルーヴエリザベス女王杯後、牡馬相手に04天皇賞(秋)(GI)で3着に入るなど、善戦を続け、牝馬相手ではエリザベス女王杯(GI)連覇など重賞3勝を挙げ、ラストランとなった05阪神牝馬ステークス(GⅡ)では「ラストランは華やかに」の実況とともに鮮やかにラストランを飾り、惨敗続きだったスティルインラブとは対照的に華やかに現役生活にピリオドを打った。
そしてデビュー戦でスティルインラブの6着も現役最後の年に才能を開花し、天皇皇后両陛下が観戦した05天皇賞(秋)(GI)を制するまでになったヘヴンリーロマンスも時同じくして現役を引退し、いずれも繁殖牝馬となった。
引退式当日の京都競馬場は雪が舞っていたが、スティルインラブの引退式の時には雪は止み、空には陽が射していたという。
その陽は牝馬3冠という輝かしい成績を残したスティルインラブの引退式のために出て来たのだろうか。
デビュー戦から全部のレースの手綱を取り続けた幸英明騎手、スティルインラブを3冠牝馬になるために育て上げた松元省一師ら関係者、そして馬名のStill in Love、「いつまでもあなたを愛したい」の名前のよう沢山のファンに迎えられてスティルインラブは引退を迎えた。
今後は生まれ故郷で繁殖牝馬となるが、ライバルであるアドマイヤグルーヴと果たして産駒でも好勝負を演じる事が出来るか。
そして母を超える子供を出るのだろうか。
スティルインラブアドマイヤグルーヴの産駒は早ければ2009年に競馬場でデビューする。
まだまだこの2頭の戦いは続くのであった。
果たして産駒成績ではどちらに軍配が上がるか。

スティルインラブ
2000年5月2日 門別・下河辺牧場生まれ
牝・栗毛
父:サンデーサイレンス 母:ブラダマンテ 母の父:ロベルト
管理調教師:栗東松元省一
主戦騎手:幸英明
通算成績:16戦5勝 
主な勝ち鞍:03桜花賞(GI)、03オークス(GI)、03秋華賞(GI)、紅梅ステークス
収得賞金:4億3777万円