最近、自分が徐々に時代の流れから取り残されるようになっていると感じるようになった。
というのも最近のヒット曲が分からなくなったり、最近の流行が分からなくなり始めたからだ。
いつまでも時代の流れに乗り続ける人間はほとんどいないだろう。
いつかはみんな時代の流れに取り残される。
そしていつの日か、時代遅れの古い人間になって行く・・・・・・・


最近、児童ポルノ法改正案とか非実在青少年規制こと東京都青少年健全育成条例改正問題の話題をよく目にするようになったが、これらのニュースを見て気になっているものがある。
法案の中身も気になるが、それよりも気になるのが規制推進派の発言だ。
推進派の発言を聞いていると、「この人たち、今の時代の事分かっているのかな」と思う事がある。
どうも、発言の中身を聞いていると、1990年代で止まっている感がある。
確かに1990年代まではオタクと言うと、全くいい言葉ではなかった。
「メガネデブ・アニメ大好き・美少女ゲーム大好き・ロリコン犯罪予備軍
宮崎勤の事件の影響もあってか、そんなイメージが残っていただろう。
しかし、その中から「エヴァンゲリオン」「セーラームーン」「ドラゴンボール」「スラムダンク」「クレヨンしんちゃん」などの名作が生まれ、これらがこの後に大きく影響を及ぼす事になる。
そして、2000年代に入り、深夜アニメが多数放映されるようになり、その中から世の中を席巻する作品を数多く誕生した。
中には「あずまんが大王」や「らき☆すた」、「True tears」のように自治体も動かした作品もあれば、「涼宮ハルヒの憂鬱」「けいおん!」「マクロスF」のように世間を席巻した作品も多く誕生した。
美少女ゲームに関しても90年代末期からただエロや恋愛を求めるゲームばかりではなく、いわゆる「泣きゲー」を代表されるようにストーリー性の強い作品が多くを占めるようになり、中にはニュース番組で取り上げられた作品もあるほどだ。
インターネットの普及も時代を大きく動かした。オンラインゲームの普及、物販の入手が容易になった事、そして動画投稿サイトとボーカロイド
さらに中川翔子を代表されるように有名人がオタクである事を告白する事も多くなり、完全に90年代までのオタク像は一気に飛んでしまい、今はオタクと言うものは一般化し、さらに広くなった。
そして今やそのオタクたちが動画サイトとかを使ってクリエーターになる時代にもなった。
オタクのイメージ像もその辺にいる普通の兄ちゃんが実はオタクだというどこにでもオタクがいる身近な時代になった。
実際、去年冬にコミケに行った時に時間が余ったついでに人間ウオッチをして見ましたが、かつてのオタク像と言える人も少なくはいましたが、見た人間の多くが垢抜けていた、都会的、見た目は普通の兄さん・姉ちゃんという感じでした。
さらにカップル、夫婦、子連れで来る人もいるなど、完全にコミケ会場は危なさを残しつつも、普通の人までが入れる会場にもなった。
そしてこのいわゆる「オタク産業」による経済効果は数千億円にも登り、そして日本のアニメ・ゲームは海外に輸出され、日本が誇れる文化の一つとなった。


先にも書いたとおり2000年代に入り、アニメやゲーム作品のキャラを自治体が使ったり、町興しに使ったり、また、萌え絵で町興しを行うなど一気にオタク文化は一般化、そして90年代と大激変してしまった。
しかし、それでも規制推進派はこんなに変わってしまい、日本経済にも大きく根付くようになったオタク文化を敵視し、そして何で彼らはそこまで規制にこだわるのか。
他のサイトでは思想とか色々考察している所がありますが、自分は別方面から考えたいと思います。
やはり先にも書いたが、ネットとかで彼らの意見を見ていると、「何かこの意見、今の時代に合っていないんじゃないか」というのがいくつか見受けられました。
彼らの中のオタク像は今の時代では無く、今以上にオタクが蔑視されていた90年代で止まっている感じがします。
そして、今の時代の事、あまりチェックしていないのではと思います。
実際にとある団体がエロゲーの名前を名指しで出していましたが、それがかなり有名なタイトルだったり、もう一つはエロゲーではなく、全年齢のゲームだったりと全く分かっていない様子で、ネットユーザーから失笑を買っていました。(しかも2つとも泣き要素が強い作品。特に後者はその団体の人にもやらせたいほど)
データとかは出したり、的外れな意見は言ってくるのに、今の時代の様子には全くチェックしていない様子。
じゃあ、何で今の時代をチェックしないのか。
それは彼らの中で止まっていた時間が動き出すのが怖いからではないでしょうか。
動き出すという事は彼らが時代に取り残されているのが完全に分かってしまうためだ。
時代に取り残されている事が分かった時というのはおそらくかなりのショックを受けるだろう。
今まで自分がやって来た事が全て時代に合っていない事が分かってしまう。それは本人にとって大きな無駄を重ねて来た事になってしまう。そして自分が時代遅れの人間だと気付かされた時、自分自身がさらに老け込んでしまう上、今の地位を辞めなくてはいけなくなってしまう。
だから自分を守るために止まった時間の中でいつまでも時代遅れの意見を言い続けているのだと思う。


Kanon」に川澄舞というキャラがいる。彼女のテーマ曲とノベルのタイトルは「少女の檻」であり、彼女自身も長い時間、時が止まった檻の中で戦いを続けていた。
その川澄舞に似ているのがこの規制推進派ではないかと思う。
止まった時間の中で自らを傷つける戦いを続けて・・・・・・・
その戦いのエネルギーに使われているのが自らが持つ高いプライドだと思う。
彼らを見ると、大学教授などそれなりに地位のある者が多い。
だから否定をしてしまうと、自らのプライドに傷をつける事になる。
傷つけたくないから時代遅れの意見を言い続ける。そして自分の気付かない所でまた傷を作ってしまう。そしてそれの繰り返し・・・・・・
それはまるで川澄舞のように・・・・・・
川澄舞のファンの人にはこういう形で舞を使って申し訳無いと思っていますが、見方を変えると切なく、そして悲しく・・・・・
彼らと川澄舞との違いを出すと、川澄舞には幸せになるハッピーエンドがあるが、彼らには幸せになるハッピーエンドが無い。
規制が実行される事が彼らにとってのハッピーエンドだと思いますが、彼らの思い通りに世の中が上手く行くはずがない。
多くの娯楽が消え、多額の金額が消えた日本経済に治安悪化にと1つの文化の崩壊・・・・・・・
こんな世界を本当に彼らは望んでいるだろうか。
みんなが健全で明るい世界を思い描いたはずが、ますます黒い世界に変わってしまった。
いくら規制推進派とは言え、こんな世界は全く望んでいないだろう。
こんな世界になる可能性があるんだから檻の中から抜け出して偏見もプライドも捨てて、今の時代をしっかりと見つめて、そして考え直して欲しいと思う。


ここまで規制推進派の見方を別の視点から書いてきましたが、度々書いてきた時代に取り残されるという事は自分らにも有り得る事であり、10年後、自分はその時の流行を理解しているのだろうか。
おそらく理解できない物が多く出るだろう。
10年前と比べ、今は時代の流れが速く感じ、流行も次々と変わってゆく。
今流行っている物も10年後はほとんどが過去の流行物に変わっている事だろう。
少し前、競艇のフリーペーパー「マンスリーKYOTEI」でこんな事が書かれていた。
「あなたの競艇力は賞味期限を迎えてませんか」
モーターの仕様変更や競艇の待機行動規則などであなたが蓄えて来た競艇力の多くが賞味期限を迎えてませんかという物だった。
流行をいつまでも追いかけるなら、いつでも更新出来るようにしないとダメのようだ。
10年と少し前に今回みたいな法案が国会で提出されたが、その時は二次に関しての規制は回避できた。
あれから10年以上の月日が経ち、時代は大きく変わり、蔑視されてきたオタクたちが今度は日本の1つの産業として支えるほどになってしまった。
時代が変わったことを彼らは分かっているのだろうか。
日本にどんな影響を及ぼすのか彼らは分かっているのだろうか。
規制推進派もそうだが、国会議員も今の時代を分かっているつもりで分かっていない人が多い気がする。
上が古い考えの人ばかりで、時代の流れを取り入れているように見えて実は取り入れてないという。
それだけ時代の流れについてゆくというのはかなり難しいと思う。
果たして自分はどこまで付いて行けるだろうか。
10年後、世の中はどうなっているだろうか。そして自分はどうなっているのだろうか。流行を理解して追い続けているだろうか。
出来たら世の中はあまり変わっていないで欲しい。そして自分は今と同じ感覚のままでいて欲しい。流行も理解していて欲しい。
それ以前に生きていて欲しい。
それらを願いながら、ここまで長々と書き続けてきたこの記事を終わります。