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リスナーがラジオネームを聴いただけで「あ、またこの人だ」と認識できること

id:tatsuno:20040713より

「読まれにいくようなネタを書くのでは無く、あくまでも笑いを取りにいこうとする姿勢を常に持っている」
基本はこれです。これにあと「明確な実績」や「ブームを起こすようなインパクト」などの条件をクリアしていれば私は番組の聴取率関係無く職人として認めても良いと思ってます。確かに女性の方々には批判を浴びる考え方とは思いますが・・・
http://diary3.cgiboy.com/2/class8686/より

毎週送っている番組がある。
その番組の常連(10ネタくらいかなぁ)になった。
ハガキを書くことが生きがいだ。
何よりも大事なのは、その人のネタが面白いということではなく、どれだけ番組を盛り上げようとしているか、ということではないでしょうか?そして、ハガキを書くことを生きがいにしている人というのが真のハガキ職人だと思います。

http://www.matsudostyle.com/diary/0407.html(7月26日)より

多分、ハガキ職人の彼らの目的はその時点では「大好きなこのコーナーに自分の作品を載せたい」「大好きな彼らに自分のペンネームを読ませたい、名前を覚えられたい」ってトコだと思うの。そっから始まって、採用されまくって、人を笑わせたり感動させたりしてるうちに、放送作家の道みたいなものを検討し始めるんじゃないかと。いや、実際には知らないけどさ。そうなんじゃねーかなーって。

 俺の想像(日本の笑いは放送作家が支えてる、その放送作家の多くはハガキ職人が出世して成る)が当たっていたとしても、これからはそういうの少しずつ成立しなくなっていくのかな、って気がしてる。だってさ、どんなハガキ職人(またはその志望者)の投稿だって、ボツはあるでしょ。誰だってできればボツにされたくない。そしたら……自分のサイト作ればいいんだもん。自分のサイトでネタを発表した方がはるかに効率がいい。もちろん他人のでなく自分の作品が選ばれるっていう快感は存在するにせよ、放送作家という目的地を見据えて投稿しているわけではない以上、どうしたって効率を求めちゃうと思うんだよね。

http://replica-love.jp/sayonana/archives/000087.htmlより

僕のなかでは、ハガキ職人という言葉は特殊な響きを持つ。すなわち「ハガキ職人=投稿者」ではないが、だからと言って「ハガキ職人=称号」というわけでもない。では一体何なのだと問われれば、けだしハガキ職人とは憐れな憐れな表現者である。

人間は社会に生きる生き物であるが、そうした定めにあって例外なく誰しもが多かれ少なかれ違和感や息苦しさを感じつつ日々を送っている。もし「私、悩みなんかありませ〜ん」などとほざいている奴輩がいたら、そいつは幸せ者でもなんでもなく、強がっているだけか、あるいはただの阿呆である。
無論、普通の人はたいていそうした息苦しさから目を背け、忘れたふりをしたがる。口笛なんぞ吹きながらいかにも軽やかに社会に立ち回っているように振る舞いたがる。そして、次第に偽りの自己に慣れていく。どんどん馬鹿になっていくのである。
しかるに表現者たるものは、逃げない。こうした窒息感に正面から対峙し、社会と己との摩擦で全身に負うた擦過傷を舐めなめ表現を紡ぎ出すものである。文学者も、ミュージシャンも、そうだ。この意味で、表現とは感性や技術云々の前にまず生き様が問われるものだと分かるだろう。
さきほど僕は、ハガキ職人表現者であると言った。もちろんプロフェッショナルの表現者とアマチュアに過ぎないハガキ職人を同列に論ずることはあまりにも乱暴であり、馬鹿げている。プロにはプロの厳しさがあり、それはアマチュアの到底到達し得ない次元である。そんなことは分かっている。しかしながら、表現者としてのメンタリティは同根であり得る。大仰な言い方になるが、生き様として表現を紡ぐ者、それが僕の考えるハガキ職人の定義である。採用の多寡やネタの質云々というのは、もうひとつ次元の低い問題であろう。

http://www2.big.or.jp/~i-holic/dabun/dabun4.htmより

後の2つはyahooで「ハガキ職人」で検索して見つけたのですが、結構興味深い内容です。とりあえず、これをトラックバックで出しておきます。
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