21日の日記の中でも触れているが、投稿者の評価というのは、どうもナイナイの番組を基準で決められているような気がする。
どういう事かというと、他の番組で沢山読まれてても、ナイナイの番組で活躍できなきゃ評価が出来ないという事。
特にこれは2ちゃんねるのラジオ板の住民とか、ナイナイ信仰者とかは実際、こういう評価をしているのではと思います。
よしだみほの「馬なりハロン劇場」の第1巻に「馬の温泉」という話がある。
この中で、この馬の温泉の地位は「ダービー出走着順」によって決められ、着順が上な馬ほど、地位が高い。逆に重賞や特別を勝っていても、ダービーに出ていなければ、その地位は低い。ナイナイで決められる投稿者(ハガキ職人)の評価はこの馬の温泉の評価と似ているような所があります。
確かにナインティナインのオールナイトニッポンはネタのレベルも投稿者のレベルも申し分が無いが、しかし、それが逆に番組及び投稿者の神格化を招いているのではないかと思うようになってきた。
2ちゃんねるだけではなく、同じ投稿者の日記を見たって、また、このはてな界隈にも、ナイナイのオールナイトニッポンのリスナーも沢山いる。
彼らはナイナイ、そしてそこに出している投稿者たちを尊敬しているが、しかし、最近は2ちゃんねるを中心にナイナイ及び投稿者たちを神格化している動きが見られる。
これはid:yoake:20040811の「どうして純粋にラジオを聴けなくなってしまっただろう」にも書いたが、

「他の番組と比較するものさし」という物は一般リスナーにも出来てしまいますが、これが厄介な物で、例えば他のラジオ番組を聴いている時、「この番組はナイナイの番組よりつまらないからクソ」と思ってしまい、ラジオ番組に対しての純粋を取り戻す事に妨害をしてしまう。特にナイナイのオールナイトニッポンとか伊集院光深夜の馬鹿力といった、完全に面白いラジオ番組をものさしに使われてしまう事が多い。また、ハガキ職人の比較にもこの2つの番組の常連と比較される事がある。

比較というものさしは純粋という物と正反対の物である。

「過去の番組と比較するものさし」「他の番組と比較するものさし」

純粋を失ったリスナーはこれらのものさしを使って、今のラジオ番組やラジオ局を批判して、叩く。

2ちゃんねるラジオ板の住民の多くはこの2つのものさしを持ってしまっているがためにラジオを聴いていても、今の体勢にものさしが合わずに叩いているのではないだろうか。

ナイナイの番組が最高峰の番組であり、また、そこで読まれている投稿者(ハガキ職人)は素晴らしいという事で、最初は尊敬というレベル程度に留めていると思うが、しかし、他の番組を聴いて、ナイナイのオールナイトニッポン及びそこの投稿者のネタと比べるものさしが出来てしまっている為、最高峰であるナイナイの番組以外は全てはクソっというレベルまで行ってしまい、ついには何でもナイナイ及びナイナイの投稿者と比べるようになってしまい、最終的にはナイナイとそこの投稿者たちを尊敬を超えて、神格化という所までたどり着いてしまう。
さらに番組の構成自体もその神格化に拍車を掛けているのではないか。
ハガキ職人としての厳しい規律」を作り、それを破った物は即破門となる。それがどういう職人であっても。これは人間としての規律にも近い部分も見えますが、確かにこれをやぶった投稿者の中には人間的にもどうもというのもいる。しかし、こういう制度も番組及び投稿者の神格化に拍車を掛けているのではないかと思う。
人間として規律は良い人間を育てるためにも必要だと思うし、ハガキ職人としての規律も、その人間としての規律と同様で、人間的にも良いハガキ職人を作るために作られたのではないかと思う。
しかし、今、そんな厳しい仕来りをする番組は減りつつあり、特にそれを表に出しているのはこの番組くらいではないのか。
今でもそういった厳しい仕来りを持っているのは、高野連日本相撲協会といったくらいで、どちらも、その仕来りを巡って、批判される事も度々である。
ナイナイのハガキ職人への仕来りも、ひょっとしたらもはや速い時代の流れの中で、過去の遺物のような物になってないか。
ハガキ職人に厳しさを求める、特に人間としての規律を求めるのは、甘い親が増えている今、必要かと思うが、しかし、だんだんその制度が古くなりつつある。
古くなった制度を今後も使い続けることは、かなり危険がある。特に勘違いハガキ職人が多くなりつつある現代の中で、この制度は貴重かと思うが、しかし、時代に合わせて変えてもらえないかと思う部分もある。
時代に合わなくなれば、ヘタしたら番組にも関わる問題にもなりかねないか。特に神格化している今となっては、10年という節目を迎えた事もあり、番組も変革の時ではないかと思う。
どこかしらの番組みたいに柔らかくしろとは言わないが、しかし、番組がリスナーの中で、またLFの中で神格化している事はスタッフも気付いているはず。
神格化することは、それだけ番組が凄いという事と共に、危ない印象も持たれかねない。
大手レコード会社のavex浜崎あゆみを神格化し、一連の騒動も、片付けたのは浜崎あゆみの一言だったし、さらに新社長の名前に浜崎の名前も出たほどだ。
売り上げが大きく減っているavexにとって、売り上げが多い浜崎あゆみは神として見えるのだろうか。それと同じで深夜番組の聴取率の稼ぎ頭であるナイナイに対して、LFの社員も、何か他の番組のパーソナリティよりも神として見えるのではないか。
リスナーにしても、ラジオ番組としては最高峰であるナイナイの番組が面白すぎるがために、他の番組を「ナイナイよりも面白くない」と批判したり、他の番組に出している常連投稿者に対し、「ナイナイの番組に比べたらクソ」というレベルまでに達してしまい、つまりリスナーも会社自体も「ナイナイがナンバーワンだ」という自体を起こし、それが神格化させてるのではないかと思います。特にラジオ人口が減り、聴取率が落ちている今のLFの現況ならなおさらだ。
さらにそれを自覚しながら、さらに神格化に向かわせてる番組側にも問題があるのではないか。
ナイナイによって、ラジオリスナーが増えれば、それはいい事だが、しかし、それが誤った方向へと育てるのではないかと思う。
ナイナイが面白いがために、他の番組がつまらないと感じたりして、ナイナイ以外は聴かないというリスナー・・・・・それではラジオのためにはならずに、ただ番組のためになっているだけではないか。
福山雅治西川貴教のように、ラジオの面白さをリスナーにも伝えてるのか。ナイナイの番組はむしろ笑いの方を優先しすぎて、ラジオの面白さを伝えているように見えて、実はそれが全部伝わってないと思う。もちろんナイナイの番組が面白いだからこそ、伝わっていると思うが、しかし、ナイナイの番組は「ハガキ職人専用ラジオ」化し過ぎて、方向がずれ始めてると思う。
リスナーにしても、面白い番組も求めているが、友達感覚で聞ける番組、そういうのも求めているのではないか。
西川さんにしても、面白いとともに、友達感覚で聞けるために、あえて言えばパーティー感覚の番組なんではと思う。これはRAG FAIR土屋礼央さんの番組も、ビビる大木さんの番組もそうだと思う。
しかし、ナイナイのオールナイトニッポンはそれと違って、アダルト向け、ハガキ職人向けの放送を続けている。
パーティー感覚の番組を嫌うリスナーに取って見れば、そっちの方が居心地が良さそうな気がするが、その変に神格化になったポイントがあるのではと思います。
パーティー感覚の番組にしても、投稿者を神格化しているはいると思う。しかし、ナイナイの場合の投稿者は、人生をかけて、作家になるために出しているのも多い。同じオールナイトニッポンでも他の番組の投稿者とは違う。
他の番組の投稿者は趣味で出しているのが多く、もちろん自分もそうだが、作家は先の先の事で、自分のアイデンティティのために、自分のために出している人が多いと思います。
逆にナイナイの番組の投稿者は、趣味で出しているのもいるが、常連はたいていは作家になるために出していると思います。自分の人生を賭けているがために、ああ言ったレベルの高いネタが賭けると思いますが、しかし、それが神格化にさせやすいのではと思います。

同じ投稿者でも趣味で出している者と人生を賭けて出している者、後者をものさしにして、前者の評価を出す事は低評価になる事は目に見えている。
人生を賭けているために、書いたネタの中にも魂が入っている、それがナイナイの投稿者であって、あくまで投稿は趣味であって、ネタを出して読まれる事を目的にしている者のネタと比べたら、全くの別物である。
別の物であるために、それらのネタを見比べて、評価を出す事は不平等な所があって、評価は出せないと思います。
ナイナイの番組の職人と他の番組の職人を比べるにも、ナイナイのオールナイトニッポンと他の番組を比べるのも全く気質が違って、本当は評価は出せないという事です。
つまり、ナインティナインのオールナイトニッポンは他のラジオ番組とは別の番組であって、そこに出している投稿者(ハガキ職人)達も、他の番組の投稿者と比べても別物である。
こういった背景から、ナイナイのオールナイトニッポンが、また、そこに出している投稿者(ハガキ職人)達が他の番組以上に神格化させてしまうのも無理がないと思います。
だが、その神格化が悪い方向へと向かう事がある。それ以前に神格化する事自体は番組にとっても良くない事だと思う。
しかし、番組の構成上、もはや神格化という迷いの森から脱出する事は困難かと思い、リスナーもそうだと思います。
少しでも神格化を抑えるような番組をしろと言っても、レベルを落とす事が出来ない。
ナイナイのオールナイトニッポンにとって、もはや神格化は宿命といっても言い様な気がします。
その宿命という番組をやっている以上、もはや取れないものとどう付き合って行って、レベルを維持することが今の最も重要な課題だと思います。

ナイナイの投稿者の中にも趣味で出している人は多いと思う。しかし、ナイナイのオールナイトニッポン構成作家への近道と言うイメージが出来上がってしまい、その結果が不平等な投稿者の評価に繋がっていると思います。
仮に2ちゃんねるラジオ板住民で、ハガキ職人の格付けをするとなれば、例えば、南関東のクラス分けみたい
にやると、最高峰であるA1クラスはもちろん、A2クラスもナイナイの常連が占め、それ以外の投稿者はA3以下という事になってしまうかと思います。
ナイナイ至上主義がネットの中で進んでいるとはいえ、ナイナイのレベルが高いとは言え、これだと正当な評価にはならないと思います。
かといって、そこらのラジオッ子にやらせると、逆の事態も起きかねないし、投稿者(ハガキ職人)の評価、つまり格付けをする事はかなり困難かと思います。
評価をするとすれば、一番簡単なのは、読まれるという事ですかね。
こういう事を書いて、もし、うちがナイナイの投稿者であったら、絶対に破門になると思う。しかし、戦前の天皇への批判みたいに、言いたい事があっても、何も言えずに、ただナイナイ右翼でいるよりは、左翼になってでも言いたい。
2ちゃんねるのラジオ板の住民でも批判しているのはいると思うが、投稿者で批判しているのはほとんどいないと思います。
孤軍でこういう事を書いたかもしれないが、しかし、何も恐れない。向こうから破門されようが、LF全体から破門されようが、言いたい事が書けないよりは書いたほうがいい。
それが間違った方向に進んでいる番組や番組リスナーのためにもなるんだから・・・・・・