上の項目で小林よしのりの事を書いたので、書きますが、id:yumenotuduki:20041112の中で「ネット上の小林よしのりファンの現状」の事を語っておられますが、正直自分も一読者であるが、小林よしのりの事はあまり書けないです。
それは何故かというと、やはり小林の評価がネット上では良くないからです。
そのネット上ではいわゆる反小林派が台頭しているのが要因ですが、前々からこれについては書こうと思ってたが、書いてやります。
どうもこういう人たちって、思想が偏っているような気がします。
本来ならば「読んで誉めるところは誉めて、間違えてる所は間違えてると指摘して、批判する所は批判すべき」だと思いますが、一方に偏りがちで、小林信者の人たちは小林の事を誉めまくって、間違いや批判とかはあまりしない。逆に反小林派は批判ばかり繰り返してるだけ。しかし、これを言ってはおしまいなのかもしれないが、反小林派の読んでる本でも全てが正しいとは言えない。小林の書いている事が正しいと言えないのなら、反小林派の読んでる本も正しいとは言えないのだ。
様々な事で資料を調べても、新たに別の資料も出てくるし、従軍慰安婦問題のように捏造された資料もある。
結局、誰が本当のことを言っているのか、これを見つけるのはかなり難しいと思う。
所詮、評論家や言論家が書いている本など参考程度に過ぎないのではないかと思う。その事件や事柄についての。
正しいのが無いんだから、その程度止まりになってしまうのかもしれない。
だが、それを正しいと思い込み、あーだこーだ書くために、混乱状態に陥っているのではないかと思う。
特に小林よしのりなど、漫画家という言論界では有り得なかった特殊な所、あえて言えば下のレベルの所から来て、あれほど本が売れてしまったために、単にそれに嫉妬して反小林になっているのではないかと思う。
同じ参考書程度で書いているのに、漫画家で、しかもあれほど売れている小林が憎い。うちの思想と反対の事を書いてるから憎い。自分にとって間違っている事ばかり書いてるから憎い。そういう憎む人たちが台湾の外省人のようにネットというメディアの中枢を握ったために、今に至っているのではないかと思います。
しかし、そういう彼らも偏った思想者であり、読んでいる本も彼らが批判している小林よしのり同様で間違っている所も多い。なのに、それを指摘せずに読み続けている辺り、それは小林信者と堂レベルではないかと思う。
結局は意味の無いただの罵りあいに過ぎないのではないかと思います。反小林派のやっている事も。
結局、小林の本にしても、反小林派の読んでいる本もアロマセラピー同様で、癒しを求める本みたいな気がします。社会や思想について書いてる本とかは。
「自分に居心地のいい本があったから、それを読む」それ程度ではないかと思う。
自分も小林の一読者であるが、全ての小林の書いてる事には賛同はしない。反米の小林については賛同しているが、愛国についての小林については賛同しない。そういう体勢で見ている。
それが出来ている読者、特に信者は何人いるのだろうか?また、これを別の評論家に当てはめても、思想に当てはめてもどれくらいいるのだろうか?
一方に偏るのではなく、「読んで誉めるところは誉めて、間違えてる所は間違えてると指摘して、批判する所は批判すべき」
思想関連の本を読むには、この言葉を持って、読むことが大切かと思います。
自分も今後はいろんな本を読むと思う。しかし、その時は参考程度に留める様にしておくように・・・・