http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20041129ic24.htm
最近、ニュースなどを見ると、集団自殺の報道が多くなった。
以前から集団自殺は起きていたけど、今月末に入ってからまた一段と多くなってきた。
何故、人は集団自殺へと向かうのか。
自殺した人の年齢を見ると、10代後半から30代前半が多い。特にこの中でも20代が多い。
何故、20代が多いのか。
20代というのは大人と子供の中間点みたいな物で、子供から大人になるときである。しかし、その時に様々な悩みを出しやすい。
現に自分が以前、感受性が強すぎている事をここで書いたが、この年代というのはいわゆる純粋な所が多すぎて、それが他の年代の人たちより悩みを作りやすくなっているのではないか。
悩みを作ると言えば、思春期の中・高生も悩みを作りやすいが、しかし、20代の悩みというのは、その思春期の悩みよりもさらに大きなもので、解決しようにも解決できない物があるからではないのか。
さらにこの年代になると、就職の事や将来の事もさらに考えなくてはならなくなる。特に不況で先の見えない現代、こんな時代に先なんて見えやしない。仕方なくフリーターをしていても、企業とのフリーター意識の感覚にズレがあり、さらに即戦力志向が強く、就職しにくい。
そうなると、先の事を悲観して、自殺する事を思いつめちゃうのではないかと思います。
自殺する前に相談相手がいればいいのだが、対人関係が希薄な現代、そんな相手がいない人が多く、しかも、昔と違って今はネットという物があって、同じ自殺をしたい仲間を探す事が出来る。
ネットを見ると、「自殺相手募集」だとかの掲示板とかをよく見かける。こういったネット現代の事情が集団自殺急増の要因だと思う。
そして、自殺へ至るんだが、集団自殺の道具で一番多く使われるのが練炭である。
何故、練炭が多く使われるかというと、薬やナイフなどといった凶器よりも死に至る確率が高いからだと思う。
先の2つだと、傷の深さや場所、さらには量によって誰かが自殺できず、生き残ってしまう可能性があるし、何よりも集団で自殺するのだから、手間が掛かる上、生き残れば傷害致死容疑で捕まってしまう。
その分、練炭なら一気に自殺へと至る可能性が高いし、人目に付かない場所なら確実に誰にも止められずに死ねる。
それだから、山の中の車内だとか部屋の中での集団自殺が多いと思う。
そして、一つ集団自殺が起きれば、それが連鎖的に起きてしまう。最近起きている集団自殺も、最初のやつから「誰かが集団自殺したから、私たちもやろう」という気になって、多発しているのではないかと思う。


どちらにしても、集団自殺で自殺した人たちの中には、その年代にある悩みと現代に関しての悲観や問題を抱えていたのが多い。
集団自殺というのは、現代が病巣だらけになっている事を表しているいわゆる現代への不信のバロメーターみたいな所があるのではないかと思う。
集団自殺する人が多ければ多いほど、そのバロメーターは上がって、それは現代への不信度が高い事を表す・・・・・
集団自殺というのは、ただの集団での自殺ではなく、自殺した人たちが現代に向けての悪い点とかを自殺という点で問いかけてると考えた方がいいと思う。
集団自殺の事をただ「また集団自殺か」と考えるのではなく、これを社会の病巣が起こしたものと考えた方がいいと思います。


人間という物はかなり弱い生物であると自分は思う。そんな弱い生物達が傷を舐めあって、そして集団で逝ってしまう・・・・・・
そう考えると、集団自殺した人たちの人生って、なんか切ない所があると思います。
みんな何かの悩みを持って、それが自分1人の力で解決できなくなり、相談する相手もなく、そして同じような見ず知らずの仲間が集まって、この世からの卒業・・・・・・
自分も正直言って対人関係がかなり希薄だからね。さらに感受性が強い故にすぐに悩みを作ったり、落ち込みやすい。
今日も朝、amazonのレヴューの事を見て、正直落ち込んだことがあったからね。
でも、自分にはネタというアイデンティティ、熟睡、そしてカウンセリングを受けてなかったり、薬を飲んだりして自分のそういった悩みや落ち込みを治しているからね。
寝れば、すぐに悩みなど忘れるスイッチ性格・・・そういう所も自分が今、在り続ける理由かもしれない。
ネットというものをしている今、好きな音楽やマンガ、好きなチームがさんざん批判され、自分のブログが攻撃され続けても、それに耐える力、それが僕にはもっと欲しいと思う。
もし、自分がもっと気弱で、薬も飲まずに、相談相手もいなかったら・・・・・・ひょっとしたら自分もこの中にいたかもしれない。
だから、集団自殺の報道を聞くと、他人事では無いと自分では思う。
人間というのは死も身近にあるような存在だ。いつ人が死を迎えてもおかしくないと思う。
その死が身近である事をさらに認識しつつ、in the soupの「グリーングリーン」を聴きながら、今日の日記を終わりにしますか。