例の件以降、再びハガキ職人の位置づけに関してまた議論になっていますが、ふと気になった事を今日は書きます。
id:o-mai:20050127さんの所のコメント欄で、id:gahakuさんが「ハガキ職人をファッション感覚で言っている奴がいる」という書き込みを見て思いましたが、確かに自らの事を「ハガキ職人」と名乗る人が多い事多い事。
例の件の当事者もやはり自分の事を「ハガキ職人」と自慢していたし、プロフィールにも「ハガキ職人」と書く人も多いし、「ハガキ職人」という言葉は乱立しまくっています。
では、何でこんなに「ハガキ職人」と名乗る人が続出してしまったのか。
それにはやはり明確な基準が無いのが理由だと思います。
去年の夏に「職人の定義」というのをあちこちの日記と議論を交わしながら作った。
その結論が

聴いている事が楽しいと思えるのが「リスナー」、ネタを出して番組の良性エネルギーの素を作っているのが「投稿者」、その良性エネルギーを活性化させて、番組というのを動かしているのが「ハガキ職人」、良性エネルギーを作っているのはいいが、それを誤った方向に活性化させてるのが荒らしとかの「勘違いハガキ職人」とあえて「投稿者」と「ハガキ職人」という上下関係を加える形考えたとしたら、こうなるのではないでしょうか。

という事になった。
つまりただハガキを出しているだけでは、まだ投稿者レベルであり、良性エネルギーの素を作れるようになった時、つまりは常連になったり、名前を覚えられたりした時に初めて「ハガキ職人」となれる。
ハガキ職人」になれるには、こうして書いているだけでも分かるかもしれないが、大変険しい道のりであり、職人と名乗れる人は自分の努力が実って、なれた人が大変だと思います。
だが、現実はそうではなく、まだリスナーあるいは投稿者レベルで「ハガキ職人」と名乗る人が続出し、これがハガキ職人の価値の低下などを招き、さらに定義が人によって曖昧なため、さらに名乗る人が続出する事態になっている。
では、何でネタを出しているだけなのに、何故「ハガキ職人」と名乗るのか。
それには「ハガキ職人がカッコいい」と思う人が多いからではないかと思います。
ハガキ職人はラジオリスナーに取って見れば、「面白いネタが沢山書けて、沢山番組で読まれて、パーソナリティーに名前を覚えられるから凄い」という認識でないだろうか。
雑誌で活字を見るよりも、耳でネタを聴いた方が、その尊敬度は高いと思う。
音楽もそうだが、歌詞を見るよりも、実際に曲を聴いた方が胸にズキッと感じやすい。
ネタもそうで、ただ活字を見るよりも、そのネタを読んだ方が、そのネタの面白さが活字よりも倍感じるのではないかと思う。
特にラジオは耳で聴く物であるために、雑誌に比べても、職人に対する憧れ度は強いと思う。
職人に憧れて、自分もネタを出して投稿者(ハガキ職人)になる人は多く、今活躍中の投稿者(ハガキ職人)の中にも他の職人のネタに影響を受けて、投稿者(ハガキ職人)になったのも多いと思う。
別に憧れて投稿者(ハガキ職人)になるんだったら、別にどうって事はないんだが、だが、ネタを出しただけで同じハガキ職人と名乗るのはどうかと思う。
o-maiさんはハガキ職人=常連というイメージを持っていますが、やはり名乗るにはそれくらいではないかと思うくらいです。
常連でパーソナリティにも覚えられ、場合によっては職人自体がネタにされる人もいるくらいですから、やはり「ハガキ職人=カッコいい」というイメージはあると思います。
しかし、いくら名乗るのがカッコいいからって、ファッションのように名乗るのはどうか。
特に最近はRAG FAIR土屋礼央さんの番組の影響か、番組リスナーのHPには自らを「ハガキ職人」と名乗ってるのは多い。
しかし、いくら名乗ってる人は多くても、「ハガキ職人」と名乗れるくらいネタが読まれてる人はほんのわずかであって、ほとんどはほんの数枚程度の採用だけで名乗ってるのである。
そうなると、やはりファッション感覚で名乗ってる人は多いと思う。
髪型や服装と同じで、向こうの番組の投稿者達はRAG FAIR土屋礼央とその番組に出している投稿者(ハガキ職人)をファッションリーダーにして、自分もマネして、実績が無いのに、ただ名乗ってるだけであるという状況ではないかと思う。
他の番組よりもむしろ土屋さんの番組の方がその傾向が強く、西川さんや笹川さんと比べても倍以上はあるかと思います。


ここでも度々書いているが、「ハガキ職人」という言葉は定義が曖昧な上、ネタを出せば誰でもなれると思ってる人が多いために、これがファッションのように気軽に名乗る人が続出している。
しかし、実際、正真正銘のハガキ職人というのはかなり数が限られ、しかもそのレベルに達している人たちは自らを「ハガキ職人」とは名乗っていないのが多いのではと思う。
それと逆に実績の無い人が多くハガキ職人と名乗っている。
それはまるでファッションのように、苦労も何も知らずに、気軽に・・・・・・・
ナイナイの常連投稿者に「ハガキ達人」と新しく新設したのにはこういったハガキ職人のファッション化に対し、同列に扱うのは、一緒に名乗ってはいいのかという事からですが、ファッション化してしまった事によって、ハガキ職人の価値は落ち続けている。
土屋さんの番組が終われば、おそらく自らを「ハガキ職人」と名乗ってる投稿者達の大半は引退するだろう。土屋さんに読まれたいがために投稿している人が多いから。
土屋さんの番組が始まって以降、番組も土屋さんもいろいろ職人を持ち上げた結果がこれに表れてるのではないかと思う。
西川さんの場合は憧れ止まりの人が多いが、土屋さんの場合はラグの特性もあってか、リスナーも投稿し、ハガキ職人のレベルに達していないハガキ職人が増加し、結果が職人の定義の曖昧をさらに露呈させてしまい、さらにあの件にも至ってしまった。
いろいろ衝撃を受けやすい思春期の女の子だからという事もあるが、自らを「ハガキ職人」と名乗ってる投稿者よ、一度自分は本当に「ハガキ職人」か、考えるべきであると思う。
ハガキ職人の意味と価値の重さも含めて・・・・・・・